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研究・調査

富山産業保健総合支援センターの調査研究コーナー

産業医学ジャーナルVol. 25(5) 69-71, 平成14年9月
プロメテウスとエピメテウス
加須屋 實

 プロメテウスは人間を造っただけではなく,天の火を盗んで人間に与え,文明と技術を教えた神として有名である.ところで,エピメテウスという弟のいたことはあまり知られていないのではないか.人類の歴史を考えると,実はエピメテウスの役割が大きい.そもそも,プロメテウスが人類に火を与える契機を作ったのはエピメテウスである.しかしそれはエピメテウスが賢明で思慮深かったからではない.プロメテウスは前もって考える人(プロ・前の,メテウス・考える)であり,エピメテウスは後で考える人(エピ・後の)であった.すなわちエピメテウスには先見の明がなく,予測能力もなく,計画性もなく,結果が出てから慌てるのだった.弟は人間や動物に生存に必要な能力を与える役目をはたしていたが,計画性のない彼は動物にすべてを与え尽くし,人間には何も残らなかった.エピメテウスは困って兄に相談した.プロメテウスは女神アテナの助けを借りて,太陽の二輪車の火を自分の松明に移し人間に与えたのである.

 怒ったゼウスはそれぞれに罰を与えた.エピメテウスに対しては,パンドラという名の完璧な美女を造って贈った.はたしてこれが罰ということになるのかどうか,異論があるかもしれない.プロメテウスはゼウスの贈り物には注意しろと忠告したが,エピメテウスは喜んでパンドラを妻としてしまった.プロメテウスに対しては,捕らえてコーカサスの山中の鎖に繋ぎ,禿げ鷹に肝臓を喰わせた.人類は,プロメテウスの肝臓が繰り返し喰われている間に,好奇心と欲望のおもむくまま本能に導かれて,生産的ではあるが破壊的でもある科学・技術・産業を展開してしまった.戦争の歴史が連綿として続き,生産活動によって生存基盤・地球が破壊され続けている今日の状況はエピメテウス的科学・技術によってもたらされたものである.

 エピメテウス的科学・技術とプロメテウス的科学・技術とを簡単に対比すると次のようになる.

・エピメテウス的科学・技術
 自然に対して:征服
 人間に対して:競争・自己拡散<競争は同じ物差しの上で他者と比較することによって可能となる.自立的な価値体系を持てないことによって競争は激化する>
 科学・技術に対する姿勢:無条件の科学・技術の追求<そもそも何のための科学・技術なのかを問わない.それがもたらす結果の責任はとらない=もたらされる事態の予測はしない>

・プロメテウス的科学・技術
 自然に対して:共生
 人間に対して:協力・自己確立
 科学・技術に対する姿勢:人類の幸福・自己拡大<科学・技術の追求は利益や社会的地位のためではなく人類の幸せな生活のためであり,科学・技術の追求自体喜びである.それがもたらす結果の社会的責任を考える=もたらされる事態の予測を試みる>

 さて,産業医学とその実践としての産業保健についてはどうであろうか.産業医学・産業保健もまた本来プロメテウス的であるべきである.すなわち,人体被害を前提としないものであるべきである.しかし,人類の歴史の全経過を支配するエピメテウス的科学・技術の潮流の中にあって,産業医学・産業保健も例外となることはできず,多くの人体被害が発生してからはじめて研究が始められ,さらに遅れて行政的対策が講じられる経過が繰り返されてきた.人体被害を前提としない例は,日本産業衛生学会による「許容濃度等の勧告」における発がん物質に関するもので,第2群の考え方が相当すると考えられないこともないといった程度である.
 最近EBMということが主に臨床分野で盛んに言われている.そこでは当然ながら人間に関するevidenceが最重要情報として取り扱われている.しかし,人体について常に完全に因果関係の明白となったevidenceが集積されているわけではないし,人体影響が不明確な事も,人体被害の報告されていない事柄も珍しくない.そこで,産業保健の最前線において産業医は次のようなエピメテウス的考え方と直面することがあるし,産業医自身もそのような考え方に陥っていることもあるかもしれない.

(1)健康障害のデータなし:人体被害の報告はないので無害なものとして取り扱う.
(2)健康障害の弱い根拠:人体被害についての報告はあるが,因果関係については異論があるので対応を厳しくするのは問題だ.
(3)健康障害の明白な根拠:人体に有害であることは認めるが,この事業場では問題は発生していない.
(4)行政的対策の有無:行政的に規則・指針等が示されていないから対策の対象外である.

 これらはすべてエピメテウス的態度である.産業医が現場から足が遠のくことがあるが,その理由は産業医活動の知識と技能の欠如によるものではなく,このような姿勢に対決すべき考え方が明確にされていないこともあるのではないだろうか.

(1)健康障害のデータなし:健康障害についての報告が見あたらない要因・因子については無作用・無害として取り扱う,という考え方に遭遇することがある.特に化学物質については,約55,000種類あり毎年新たに数千種類追加されているありさまなので,産業医が真剣に担当事業場での責任を果たそうとすれば,有機溶剤中毒予防規則,特定化学物質等障害予防規則,ガイドライン等に取り上げられていないし,管理濃度も示されておらず,かつ人体にかかわるデータが見つからない,といった化学物質に遭遇する事は珍しくないはずである.あるいは,これら予防規則等に取り上げられていない物質であることから事業場側から産業医に対して情報が提供されていないことも考えられるし,またそれら物質名を知りうる状況にあっても,産業医の方で問題にしない場合もあり得る.このような場合,「人体被害の報告なし=無害」という拡大解釈(事業主側からのこのような解釈に出会うことは珍しくはない)は決して採用してはならない.「健康障害がありうる」として可能な限り接触や体内吸収の機会を避けるように指導し,ずさんな取り扱いを抑制するのがプロメテウス的姿勢である.その場合,各種規則やガイドライン等に示されていない,と反論されることがありうるが,安衛法において「産業医は,労働者の健康管理等を行うのに必要な医学に関する知識について……」と要件が定められ,「産業医は,労働者の健康を確保するため必要があると認めるときは……」とあることを想起するべきだろう.ともかく,人工合成化学物質は大部分が生体に必要のないものであり,まったく生体に影響を及ぼさないものはまずないと考えていいからである.

(2)健康障害の弱い根拠:健康影響についての報告はあるが,因果関係について未結論でまだ議論が継続していることをもって,問題とする因子と健康影響との関連を否定し,さらには対策を不必要とする考え方に遭遇することがある.メカニズムの解明についてまだ問題が残っていることをもって因果関係を否定する論法に苦慮することもある.これらに対しては,予防の理念を堅持して対応することが大切である.

(3)健康障害の明白な根拠:過去に健康障害が多発したことを踏まえて成立した様々な行政的措置に関しても,他の事業場はいざ知らずこの事業場では今までのやり方で従業員の健康障害は発生していないから問題はないのである,とする論法にも産業医はしばしば直面するはずである.このような姿勢に対しても,予防の理念を堅持して対応する他に道はない.

(4)行政的対策の有無:行政的な対応が示されていないから対策の対象外であるというものである.前3者とは多少違う視点からの考え方であるが,現場ではかなり頻繁に出てくる主張であり,産業医としては論理的な反論が意外に難しく,対応に苦しむ局面である.基本的には(1)で述べた立脚点において対応することが必要であろう.なお,平成11年に労働安全衛生法が改正され、化学物質を譲渡・提供するものに対し化学物質等安全データシート(MSDS)の交付義務が課せられ,同年,特定化学物質の環境への排出量の把握等および管理の改善促進に関する法律(化学物質管理促進法・PRTR法)がもうけられ,平成12年4月には労働安全衛生法第57条の2によって通知対象物質631種類が示された.これら一連の行政的な措置は,規則やガイドラインにない,という抜け道を狭くすることになり大きな前進であると考える.

 エピメテウスの家には開けることを禁じられた箱があったが,好奇心に負けたパンドラはふたを取った.痛風,リュウマチなど病気だけではなく嫉妬,怨恨,復讐など,おびただしい禍が逃げ出し世界の隅々まで広く散った.これがゼウスの狙いだったのだろうか.ところで,箱の底に残されたという希望の行方を,いまやだれも気にしていない.いったいどこに消えたのか.実は,産業医はじめ産業看護職,そして企業の関係者の中に眠っているのである.戦乱の世が続き,地球環境が破壊され続けている現在,それをプロメテウス的産業医学・産業保健として目覚めさせることが21世紀の課題である.


(かすやみのる・富山産業保健推進センター所長)

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