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研究・調査

富山産業保健総合支援センターの調査研究コーナー

産業医学ジャーナル Vol. 28(6),72-73, 平成17年11月
生産物の一生 〓石綿問題の教訓ー
富山産業保健推進センター所長 加須屋 實

 久しく音信が途絶えていた札幌の知人から,最近電話があった.現在,突然のように石綿による中皮腫が大問題になっているが,あなたが30年ほど前に書いた本(「環境毒性学」,日刊工業出版社,昭和52年,絶版)を開いてみると,石綿の項目があるばかりではなく,現在問題にされていることのほとんどすべてについて書かれているではないか.しかも,被害者が出てからでなくてはその有害性・危険性は注目されないのであろうか,という主旨の指摘があり,今更ながら感ずるところがあり電話した,というものである.

 あらためてそれを引っぱり出し見てみると「ところで,なぜ日本では石綿による(一般)環境汚染にもっと注意がむけられないのだろう.やはり,この人が石綿で中皮腫になった人だ,という人が出現しないからだろうか.その生体影響がだれの目にも明らかになってからでは,とりかえしがつかないのに」とある.当時この本を書いた最大の動機は,水俣病,イタイイタイ病,四日市喘息,砒素中毒に続く環境汚染病を出さないことにあった.多くの化学物質を調べる中で,職域の塀を越えて地域(一般環境)に拡散し,人々に不可逆的な健康障害をもたらす最大の可能性をもった物質が石綿であることに気付き,危機感をつのらせていたのである.

 職域における石綿による健康障害の予防は,すでに昭和47年9月の特定化学物質等障害予防法(特化則)(労働省令第39号)に基づき必要な措置が講じられていた.また,産業医制度も昭和47年6月にはスタートしていた.

 その後,昭和50年:石綿等の吹きつけ作業(5%以上含有)の原則禁止(特化則の改正),平成7年:アモサイト,クロシドライト含有製品の製造禁止,平成15年9月:石綿による疾病の労災認定条件の改正,平成15年11月:石綿含有製品の製造等禁止(石綿セメント円筒,建材,ブレーキ,接着剤等)(労安法施行令の一部改正・基発1119005))と,対策の推進が図られ,さらに,平成17年2月の石綿障害予防規則の制定・公布については,今後の石綿ばく露防止対策等は建築物等の解体等の作業が中心となるという先を見通した見識ある対策であり,石綿に関する行政的対策として今後の体制が構築されたものである.

 ところが,石綿障害予防規則および関連告示の施行,平成17年7月1日のまさに直前,6月29日にクボタによってアスベスト汚染が公表された.塀の中に化学物質を封じ込める対策が万全であれば,この原因,機序等は必ずしも明らかではないが事業場の内外における石綿への対策が十分であったか疑問が生じるところであり,このような状況を見過ごしてきたことは,環境問題に長く関わってきたものとして,鼎の軽重が問われるものと言えよう.改めて反省して辿り着いたのが次の結論であり,いわば石綿問題の教訓である.

 第一の教訓は,生産物・製品の各ライフステージに即した化学物質対策を徹底する必要があるのではないか,ということである.生産物のライフステージを,誕生,活用,終末の3段とし,暴露の程度を仮に,高濃度暴露,準高濃度暴露,中等度暴露,低濃度暴露としこれらの組み合わせとして考える.

 生産物の誕生期:職域-高濃度暴露・工場近接地域-準高濃度暴露.製造の現場で労働者の健康を守り,かつ事業場の塀の外への排出を制御することについては,化学物質に係わる健康障害予防対策の法体系に加えて,MSDS(平成4年)とPRTR(平成11年)制度が整備され,さらに化学物質管理指針(平成12年)により自主的な対応が勧められ,より完成度を高めたと考えるが,残念ながら石綿については,これらの機能が体系化される以前の問題であった.

 生産物の活用期:職域-中等度暴露・一般地域-低濃度暴露+中等度暴露.日本居住者で,肺に石綿の繊維を持たない人はまず居ないと言っていい.ブレーキライニング由来やその他あらゆる製品,建造物からはく離した石綿をすでに取り込んでいる.石綿製のほうろくはどこの家庭にもあったし,学校では石綿を塗った金網で実験を行った.これを低濃度暴露としておく.さらに,吹き付け塗装がむき出しになった部屋や機械の修理などの現場と,その周辺で作業者ならびに地域住民への付加的暴露があったと考えられ,これが中等度暴露である.他に,シックハウスのアセトアルデヒド,カドミウム顔料を含むケースの摩耗,発がん物質を含むアスファルトの舗装,などの例がある.すなわち,製品として塀の外に運び出されたものについても,地域,職域における対策が確立されなければ万全とはいえない.MSDS・PRTR制度は画期的だが,この点については貢献できない.生産物・製品として盛んに使用されている時期における対応は,問題発生ごとに事後的に行われてきたとは考えるが,体系的な予防措置という意味では盲点なのではないか.

 生産物の終末期:職域-高濃度暴露・工場近接地域-準高濃度暴露.廃棄,リサイクルの問題であり,一般環境汚染の問題である.水銀,カドミウム,鉛,などで問題となった.石綿障害予防規則はこのステージに対処しようというものである.

 このように見てくると,職域における規制強化もさらに必要かもしれないが,一般環境側からの対策強化,例えば環境基準の設定などが必要かと考えられる.工場敷地の外の大気中の石綿繊維が10本/Lは,見直しの余地があると考えられるし,工場近接の場所を超えて広く環境問題全体として対策を講ずることは,住民の不安に応えるためにも,緊急の課題だと考える.

 第2の教訓は,たとえ行政的,法的対策が講じられても,それだけでは不十分だということである.特化則があり,産業医制度がある条件下で,これらがきちんと機能しておれば今日の事態は起こらなかったと考える.産業医は平成8年の労安法改正で産業医になるための一定の資格要件が賦され,資質が格段に向上しているが,事業者が法の精神を理解することなく,厳しく取り締まられなければそれを遵守しない,ということがなくならない限り事態は好転しないだろう.

 最近CSR (Corporate Social Responsibility),すなわち企業の社会的責任についての論議がさかんである.勿論,以前から企業理念や経営理念を堅持した企業は少なくはなかったが,環境問題への対応について十分浸透していたとは言い難い.だからこそ,公害多発の時代を経て,地球規模の環境破壊に直面している.企業は,外部からの規制内で責任を果たそうとするのではなく,自律的に環境への配慮を図りつつ,従業員の健康はもとより地域社会への貢献を目標にして欲しいものである.企業がそのような姿勢を貫く限りにおいて,産業医をはじめとする産業保健関係者もその力を存分に発揮できるのではないか.産業保健推進センターは,生産活動のあり方が地球の存亡をかけて大きく方向転換をしようとしているこの時代にあって,その潮流を加速する任務を背負っていると理解している.

 ところで,石綿の健康被害については現在中皮腫に関心が集中しているが,肺がんの過剰発生/死亡についても検討すべきであることを要望して稿を終わりたい. 

(かすやみのる・富山産業保健推進センター所長)

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