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研究・調査

富山産業保健総合支援センターの調査研究コーナー

富山医薬大医誌14巻1号2002年
最終講義 環境と人間〓パンドラの箱の行方〓
加須屋實(富山医科薬科大学公衆衛生学教室)

1.プロローグ〓戦争と環境破壊の歴史〓
 ギリシャ神話によると(文献1),人類の起源はプロメテウスによるとある。プロメテウスは大地の土から人間を作った。ところでエピメテウスという弟がいて,人間や動物に生存に必要な能力を与える役目をはたしていた。ところが予測能力のないエピメテウスは動物にすべてを与え尽くし,人間には何もなくなった。それをみたプロメテウスは,女神アテナの助けを借り太陽の二輪車の火を盗り,人間に持ち下った。火は,暖房はもとより武器や農具を生み出す技術の基礎となり,貨幣鋳造や商売,取引を展開せしめた。すなわち人類の歴史が展開をはじめたわけであるが,最初の黄金時代は無邪気と幸福の時代であった。人間に必要なものは自然が生み出し,造船のために木は切られることはなく,劔,槍、兜などはなかった。つづく銀の時代は,耕さなければ穀物は生じなくなった。さらに,銅・真鍮の時代は,強いものが勝ちの時代であった。鉄の時代は,樹木は切られ船になり,土地所有と分割が行われ,鉱脈から鉄と金が掘り出され,これらは武器となり戦争のもととなり,世界は殺戮の血でぬれた。神々は地上を見捨て,ゼウスは人間を滅ぼすことを決意する。火を使うと危険が天上にも及ぶことを恐れ,洪水によって人類は滅ぼされることになったが,パルナッソス山に生き残った一組の夫婦,デウカリオンとピュラによって人類は再出発することになる。 私の生まれた年は昭和11年であるがこれは2.26事件の年である。日支事変(1937年7月)を経て第二次世界大戦に突入(1939年9月)する直前であり,シンガポール陥落(1942年2月)の報に大人達が喜び合っているのを目撃したのは小学生の頃だった。間もなくグラマン戦閾機が私達の住む小さな谷筋に沿って低く飛び,山の向こうで小学校が攻撃され女の先生が死亡,2番目の兄が行っていた遠くの町もしばしば空襲にあいまさかの時に自分を認識してもらえるようにと下着に名前を縫い込んだと聞いた。一番上の兄の友人が,学徒動員や特攻隊に行く前のお別れに訪ねてきた。すぐ上の兄は戦後の混乱の中,医療事故で死んだ。叔父が復員してきたが,捕ったシラミを薪ストーブの端に小さく積み上げながら,しかし戦争のことはほとんど話さなかった。やがて米軍の進駐とともにDDTがもたらされ,シラミ,ノミは急速に姿を消したが,蛍や小鮒も消滅した。その後,朝鮮戦争,ベトナム戦争,民族戦争,と戦争は絶えることなく,その間水俣病,イタイイタイ病,四日市ぜんそくと公害全盛の時代を迎えた。人類の歴史は,科学技術の発達を基礎に産業・生産力の飛躍的発展を遂げたのだが,同時に戦争と環境破壊の歴史でもあると言わざるを得ない。自分にできることは何かを考える中で,深刻な人体被害が発生してから毒性研究が始められる研究体質に疑問を持ち,環境汚染物質の毒性予測のための研究が必要であるという結論に至った。

2.毒性予測
 動物実験では金も時間もかかり観察も難しい。試験管内実験では個体レベルとの関連が分かりにくくなる。その間隙を埋める形で,毒性のスクリーニングとメカニズム解明とを兼ねた細胞・組織培養を用いた毒性研究が開発されてしかるべきではないか,と考えた。ニワトリ後根神経節やラット小脳の組織培養を用いて環境汚染物質の毒性研究を始めた。種々の水銀化合物毒性比較の研究を行い学位を得た後,いろいろな環境汚染物質の神経毒性を検索した。それら環境汚染物質は銅,コバルト,カドミウムなどの金属の他,塩化ビニルの可塑剤であるフタル酸エステルやPCB, tricresylphosphate,2,4-D,2,4,5-T, hexachloropheneなどだった。また,複合影響研究の一種とも言えるが,水銀化合物の神経毒性に対するビタミンA,E,B12,セレニウム,ステロイドなどの影響を調べて,これらに毒性抑制作用のあることを明らかにした(表1,図1)。水銀関係の研究は国際労働衛生会議(XVI International Congress on Occupational Health,Sept.1969,Tokyo)で発表したが,当時,培養系を用いた毒性研究は皆無といった状況だったので注目を浴びた。フタル酸エステルについては,国際薬理学会議のシンポジウム・Toxicity and metabolism ofplasticisers and plasticsに招待されたので(Sixth International Congress of Pharmacology,July1975,Helsinki)特に記憶に残っている。また,フタル酸エステルについては,プラスチック業界から,まだ人体被害が出ていないのに毒性を云々するのは売名行為である,といった反論があり,本当の予防医学とは何かを考えさせられ「環境毒性学」(文献2)を書く動機になったことからも大きな意味を持っている。


表1水銀化合物の培養神経組織に対する毒性の化学的修飾
Dorsal root ganglia (DRG) were prepared from chick embryos incubated for 9-10 days and cultured for 3 days in a medium containing appropriate amounts of mercury compounds and other chemicals. Cerebellum or cerebrum from newborn rats aged 7-11 days was sliced into 1 to 2 mm and incubated for 3 to 4 days in a medium containing mercury compounds and other chemicals.
Mercury Modifier Tissue Effect
EMC phosphatidyl-L-serine DRG Inhibited*
EMC sphingomyelin DRG Inhibited *
EMC L-cysteine hydrochloride DRG Not inhibited *
EMC cholesterol DRG Not inhibited *
EMC DL-penicillamine DRG Not inhibited*
EMC BAL DRG Not inhibited *
MMC vitamin A cerebellum Inhibited*
MMC vitamin A + E cerebellum Inhibited*
MC vitamin B12 cerebellum Inhibited*
MMC vitamin B12 cerebellum Inhibited*
MMC vitamin E cerebellum Inhibited*
EMC vitamin E cerebellum Inhibited*
MC selenite cerebrum Both toxicities were decreased
MMC selenite, selenate cerebellum Inhibited* at a low concentration of Se,
Toxicity of Se was additive at a high
concentration
MMC selenite + vitamin E cerebellum Inhibiting* effect was additive
MMC steroids cerebellum Inhibited*


---------------------------------------------------------------------------- MC  :mercuric chloride.
MMC  :methylmercuric chloride.
EMC  :ethlymercuric chloride
*Inhibited the toxicity of mercury compound on nervous tissue in culture. The toxicity was evaluated observing the outgrowth of nerve fibers and/or fibroblasts. TheMann-Whitney U test was used to determine the significance of changes vs.control cultures.

3.環境汚染病
 公衆衛生学の理念はActing locally,thinking globallyである。特に環境医学を専門分野としていることと,地域の多様なニーズに対応する必要に迫られたことから,少ないスタッフながら研究テーマは次のように多岐にわたった。

(1)一般環境
〓環境汚染と健康・イタイイタイ病
〓環境アレルギー・花粉症
〓地球環境評価・年輪解析
(2)職域環境
〓健康管理・メンタルヘルス

 今回はこれらの中からイタイイタイ病研究について紹介するが,その内容は次のように多彩である。ここではイ病の歴史,イ病の自然史,これからの課題,などについて簡単に触れる。

(1)イタイイタイ病と汚染地域住民の健康影響
〓イタイイタイ病患者に関する研究
・活性型ビタミンDによる治療研究。
・過去の患者発生状況調査。
・イ病患者の尿蛋白の分析。ビタミンD結合蛋白排泄の証明。
・尿細管上皮に限局するトレハラーゼの排泄増加の証明。
・エリスロポエチン産生低下の証明。
・イ病患者の自然史に関する資料の集積とその分析。
〓汚染地域住民の健康調査・追跡調査
・摂取米・尿中カドミウムが高く,尿中β2-microglobulinも増加。
・β2-microglobulin以外の尿中蛋白を分析しつつ,スクリーニング法の確立。
・骨代謝異常(男女とも)の存在;骨萎縮度および骨量の減少,オステオカルシンの高値,血清リン低下。
・カドミウムと活性酸素産生との関連。
・追跡調査,10数年;尿細管機能異常も骨量の減少も不可逆性。

(2)カドミウム中毒の実験的研究
・運動負荷でカドミウムによる腎障害,骨影響の増強(ラット)。
・カドミウムによる血圧低下作用の証明(ウサギ)。
・カドミウムによるインターロイキン-8(IL-8)産生誘導の証明(白血球,in vitro)。すなわちカドミウムの炎症惹起作用の証明。
・カドミウムによるアポトーシスの誘導とその経路の解明(培養細胞)。
・カドミウムの組織染色。

1)イタイイタイ病(イ病)の歴史
 イ病にかかわる経過を表2に示す。この年表から次の事柄が指摘される。
・鉱山活動の初期といえる明治時代から農業被害が発生し,生産の増大するにつれてその被害は拡大した。
・人体被害は多くの死亡者が発生するまでは認知されず,その時期は極めて遅かった。人体被害の規模も,戦争に伴う鉱山活動の拡大に伴い増大した。
・人体被害の認知とその補償と対策は,被害者自身の力によって進展した。
・公害被害者の認定には問題があり,公害健康被害補償不服審査会に対し不服審査請求が申し立てられた。
・カドミウム汚染とその健康影響の問題は過去の事柄ではない。最近も(新しい)イ病患者が認定されたし,米の安全基準値についての議論も進行中である。

表2神岡鉱山とイタイイタイ病(イ病)の歴史



16世紀末: 茂住銀山,和佐保銀山発見。採鉱開始。
明治19年: 三井組本格的経営開始。銀を主産物,鉛を副産物。
明治23年: 銀鉱のばい焼で装入鉱の約10%がばいじんとして飛散。水田,飲料水,山林,桑畑の被害。高原川漁業被害。
明治38年: 亜鉛鉱石採取開始,廃物カドミウム量激増。(戦前,戦中の乱掘で更に増大,昭和52年までの廃物カドミウム量の総計は3,000tを越えると推定される。)
明治44年: 茂住上平精鉱場に浮遊選鉱場を増設。神通川流域水田の稲作被害始まる。イ病の発生。
大正3年: (第一次世界大戦)
大正5年: 亜鉛ばい焼開始とともに煙害激化。
大正6年: 富山県上新川郡下夕村住民農作物,果樹,植林被害の損害賠償要求。
昭和6年: 神通川流域の漁業,農作物の被害が広範囲に。鹿間谷に廃さい堆積場建設。
昭和7年: 神通川鉱毒防止期成会結成。富山県,工場排水,河川水,底質,水田土壌の鉛,亜鉛の分析。
昭和10年: 第一次増産計画950t/日。イ病はこの頃から昭和35年にかけて多発。
昭和11年: 尾去沢鉱山堆積場決壊。
昭和12年: (日中戦争)栃洞選鉱場700t/日に拡張。
昭和13年: 第二次増産計画1400t/日。鹿間堆積場大雨で決壊。
昭和14年: (第二次世界大戦)第三次増産計画2100t/日。
昭和15年: 第四次増産計画2800t/日。
昭和16年: 農業被害深刻,神通川流域で4000町歩に及ぶ。
昭和18年: 神岡鉱山による神通川流域の鉱毒被害,農林省の調査で公害担当官であった小林純によって明らかに。
昭和19年: カドミウムの生産開始。
昭和20年: 鹿間堆積場の決壊,40万立方メートルの鉱さい流出。
昭和21年3月: 萩野昇医師が復員し診察開始。
昭和21年8月: 金沢医科大学(現金沢大学医学部)精神医学教室,長沢太郎他5名,婦負郡宮村(現婦中町)の農業会の委嘱により44名の神経痛様疾患について調査,ロイマチス性疾患とした。
昭和22年: 萩野昇,金沢医科大学第一病理学教室宮田栄教授との共同研究。骨軟化症を疑いビタミンD大量療法開始。萩野病院内でネズミを飼育,患者の血液,糞尿の投与実験。
昭和29年: 和佐保堆積場完成。
昭和30年: 和佐保堆積場決壊,15万立方メートルの鉱さい流出。
昭和30年4月: 富山新聞にはじめてイ病の記事。一般の人がイ病の存在を知る。
昭和30年5月: 東大名誉教授細谷省吾と河野臨床医学研究所の河野稔との共同調査。細菌学者である細谷教授によりウイルス性疾患が否定され,栄養不足と過労による骨軟化症類似の疾患とされた。
昭和30年9月一31年3月: 富山県は患者発生地域の熊野地区200世帯での栄養調査を実施,栄養不足状態はみられず,と結論。
昭和30年10月: 萩野昇,河野稔の連名で第17回日本臨床外科学会で発表。萩野医師はつづいて疫学調査に着手,患者発生地域を神通川流域と特定。
昭和32年12月1日: 萩野昇,第12回富山県医学会にてイ病の鉱毒説を発表。
昭和34年: 岡山大学農業生物研究所教授の小林純は神通川の水と患者の井戸水を分析しカドミウムを検出,カドミウムの鉱毒説となった。
昭和35年7月: 冷水害の調査に訪れた吉岡金市農学博士と萩野昇の共同調査により農業被害とイ病の発生地域とが一致することを再確認。小林純は35年以降,患者の臓器,稲,水田土壌,川魚の分析を重ね,高濃度のカドミウムを検出し,カドミウム原因説をさらに確かなものとした。
昭和36年6月: 小林の得た結果に基づいて,萩野と吉岡の連名で第34回日本整形外科学会でイ病の原因としてカドミウムが重要な役割を持つと発表。
昭和36年12月15日: 富山県地方特殊病対策委員会の設置。
昭和37年10月より: 富山県地方特殊病対策委員会は金沢大学医学部に委託してイ病の原因について疫学的調査・研究の開始。発生地区の婦中町熊野,富山市新保の30歳以上の女性862名について健康診断を実施,濃厚容疑者25名,容疑者59名,計84名の存在を確認。
昭和38年: 「文部省機関研究イ病研究班」が発足,同年発足した厚生省「厚生省医療研究イ病研究委員会」と富山県の「地方特殊病対策委員会」と合同研究。イ病の概念,診断基準,疫学的調査集団検診の方法の確立を目的。36年調査の未受診者の検診をすると共に,36年調査時の84名の容疑者の精密検診を実施。
昭和39-40年: 合同委員会は,常願寺川流域,大沢野町などを対照地域として40歳以上の女性の検診,イ病発生地域の40歳以上の男子の検診,あらたな対照地区黒部川,庄川流域の男女について検診。38-40年,厚生省と文部省の委託研究委員会は,イ病の臨床,病理,発生原因についての基礎的研究。
昭和41年2月: 昭和40年度の厚生省公害調査研究費により日本公衆衛生協会公害防止対策委員会が発足。
昭和42年1月: 36年度から40年度にわたる3者合同の研究成果を「いわゆるイ病に関する調査研究報告」として同一の内容を,富山県と文部省ならびに厚生省と別々に発行。内容は[1]患者,容疑者は殆ど女性,60歳前後に多い,出産経験平均6回,大半農業,生活程度特に悪くない,[2]患者は疼痛,エックス線写真で骨の変化あり,ALP上昇,血清リン低下,尿糖,尿タンパクなどがある,[3]原因カドミウムの容疑濃厚だが他の要因も関係していると考えられる,など。
昭和42年7〜11月: 富山県は婦中町,大沢野町,八尾町,富山市の患者発生地域とその周辺で,金沢大学医学部の協力の下に住民の健康診断を実施。
昭和42年8月: (「公害対策基本法」制定)
昭和42年12月: 富山県,「イ病患者及び疑似患者等に関する特別措置要綱」作成。イ病認定審査協議会発足。
昭和42年12月: 第1回イ病認定審査協議会(高瀬武平会長)で454名について審査,患者73名,要観察者155名が認められる。
昭和42年: 厚生省公害調査研究委託費による日本公衆衛生協会イ病研究班が発足。
昭和43年1月: 富山県,イ病及び疑似患者等に関する特別措置要綱の実施。
昭和43年3月: イ病患者9件9名,遺族5件19名,計14県28名による三井金属鉱業相手の慰謝料請求の第1次訴訟,富山地裁へ(訴訟は7次にわたり,最終的には原告総数182件469名となった)。
昭和43年3-6月: 昭和42年度科学技術庁特別研究促進調整費をもって「神通川流域におけるカドミウムの挙動態様に関する特別研究」を,通商産業省と厚生省が地元地方公共団体の協力を得て実施。
昭和43年3月27日: 厚生省「イ病の原因に関する研究」を発行。内容は水系の土壌,米などのカドミウムを分析,神通川水系の汚染の状況を明らかに。以後,厚生省の公害調査研究委託事業は公害医療研究補助金を日本公衆衛生協会に交付し医療研究を行う形になった。
昭和43年5月: 富山地裁第1次訴訟の公判,3年後結審。
昭和43年5月8日: イ病に係わる厚生省見解発表,公害病と認定。この年の萩野の論文で,昭和21年3月より診察をはじめ,今日まで約260名の患者(男6名,女254名)を診察,うち128名が死亡した。そのほかイ病容疑者120名と報ずる。
昭和44年1月: 科学技術庁の報告書。神通川・高原川水系のカドミウムは,鉱業所施設の上流では検出されず,鉱山付近ではやや高く,下流の神通第一ダム下流では微量検出された。神岡鉱業所の和佐保たい積場排水と亜鉛電解工場排水などに異常とも見られる高いカドミウムが検出された。
昭和44年5月30日: 厚生省,「慢性Cd中毒ならびにイ病に関する医学研究会」を開催,次の4点について報告討議。〓イ病に関連した住民の健康調査の経過〓慢性Cd中毒・イ病の発現機序,〓慢性Cd中毒・イ病の鑑別診断,〓総括討議。その後この研究会は環境庁に移管。
昭和44年12月: 公害に係わる健康被害の救済に関する特別措置法(救済法)に基づき,地域指定を受ける。なお,村田勇がビタミンD投与を問題としたため,この年要観察者の大部分が解除される。・昭和45年1月:第1回公害被害者認定審査会(石崎有信会長)で改めて申請に基づく審査が行われ,96名がイ病患者とされた。この年米のカドミウム許容基準1ppmとなる。
昭和45年2月: 「公害に係わる健康被害の救済に関する特別措置法」施行,厚生省通達「認定に際しての医学検査の実施について」,昭和45年末の同法による患者認定124名,要観察判定192名。
昭和45年末: (臨時国会で公害対策基本法の一部改正)。
昭和46年3月: 富山地裁第1次訴訟の結審,無過失賠償責任,原告勝訴。被告は即日名古屋高裁金沢支部に控訴。
昭和46年6月: 富山地裁第1次訴訟の判決。
昭和46年7月1日: (環境庁発足)
昭和46年9月: 名古屋高裁金沢支部で控訴審の第1回公判。
昭和47年: 環境庁のカドミウム関係の公害調査研究委託事業は昭和47年度から一本化,環境生態,病態生理,早期診断,予後管理の4研究部会よりなる総合研究班として開始された。その後部会の構成はいくどか変更されたが,51年度より研究課題「イタイイタイ病に関する総合的研究」となり,「カドミウムの慢性影響に関する実験的研究班」,「腎尿細管機能異常に関する臨床医学的研究班」,「イタイイタイ病に関する研究班」,「イ病および慢性カドミウム中毒症の鑑別診断に関する研究」の4班で構成。54年度より「イタイイタイ病及び慢性カドミウム中毒に関する総合的研究」。
昭和47年3月: 富山県と三井金属鉱業株式会社と「環境保全等に関する基本協定」を締結。
昭和47年4月: 名古屋高裁金沢支部で控訴審に対し結審,8月判決,富山地裁における第1審判決支持。イ病訴訟の原告,弁護団,支援団体と三井金属鉱業との間で誓約書,協定書を締結。
昭和47年6月: 環境庁企画調整局公害保健課長通知,現行の認定4条件(及び要観判定条件)を示す。
昭和47年8月9日: イ病訴訟控訴審全面勝利判決。
昭和47年8月10日: 三井金属本社交渉で「イ病の賠償に関する誓約書」結ぶ。
昭和48年7月: 患者側と三井金属株式会社,誓約書に基づく「医療補償協定」結ぶ。
昭和48年10月: 公害健康被害補償法制定(昭和49年9月施行),この年以降1PPm以上の産米地域での作付け停止。
昭和49年9月: 救済法から引き継いて,補償法による地域指定。
昭和50年2月: 文芸春秋2月号に「イ病は幻の公害病か」(児玉隆也)が掲載され以後国会質問などでカドミウムとイ病との関係を否定する論調続く(s.50.2;小坂善太郎衆議院議員らの国会質問,s.51.4;自民党環境部会カドミウム説否定の報告,s.54.3;秦野章参議院議員厚生省見解見直し要求の質問)。患者認定ゼロが続く。
昭和52年7月: 県認定審査会の会長,石崎有信教授から梶川欽一郎教授に交替。
昭和54年: 環境庁,54〜59年度にかけて,「富山県神通川流域の住民健康調査」を実施。
昭和54年: 骨生検の取り組み始まる。
昭和54年12月: 梶川会長不信任要求に対し,県は60歳定年制を理由に梶川会長,萩野昇医師を委員から外す。
昭和55年: 県認定審査会長に渡辺正男教授就任。骨小委員会が設置され吉木法の病理診断基準の検討。
昭和57年: 骨軟化症における類骨組織の染色法である吉木法を中心に病理学的基礎研究を行うため57年度から「骨軟化症研究会」が組織。実際の類骨縁よりいくぶん幅広く染まるが簡便で実用的な方法であり,従来の諸方法に匹敵すると認められた。
昭和58年: 環境庁と渡辺会長,小委員会の判断基準を修正し,第2内規を取り決める。
昭和58年3月28日: 県認定審査会,判断保留中の申請者20名につき,第2内規により患者認定9名,却下11名の審査。
昭和59年〜: イ病の認定却下が続く。
昭和62年5月: 7名の認定申請。
昭和62年12月: 県,7名全員の却下。
昭和63年2月: 却下処分に対する異議申し立て。
昭和63年4月: 県,異議申し立てに対する棄却処分。
昭和63年5月: 公害健康被害補償不服審査会に不服審査請求申し立て。
平成1年: 環境庁「骨軟化症の診断における病理組織学的検索の意義に関する研究班」が設置され平成4年12月に報告書。
平成1年4月〜: 不服審査会,6回にわたる公開口頭審理(富山)。
平成1年9月 :イタイイタイ病及び慢性カドミウム中毒に関する総合的研究班は,イタイイタイ病及び慢性カドミウム中毒に関する総合的研究班総括報告[中間取りまとめ報告]を出して解散。
平成1年9月: 環境庁は54〜59年度にかけての「富山県神通川流域の住民健康調査」の報告を,先だって実施された石川県,長崎県,兵庫県など7県の成績とあわせて,「カドミウム環境汚染地域住民の保健対策確立のための研究班」による前記「中間取りまとめ報告」と合わせて公表。
平成2年: 「イタイイタイ病及び慢性カドミウム中毒に関する総合的研究」再発足。
平成2年6月26日: 萩野昇医師逝去。
平成2年10月27日: 「イタイイタイ病と生きる一故萩野昇先生をしのんで一」発刊。
平成4年4月23日: 不服審査請求結審。
平成4年10月30日: 不服審査請求の裁決。4名について不認定処分の取り消し,3名について請求棄却の裁決。県は不認定処分の取り消しを受けた4名をイ病患者として認定。
平成4年: WHOよりカドミウムのクライテリア発表(EnvironmentalHealthCriteria134Cadmium,WHO,1992)。
平成5年2月: 棄却となった3名の不認定処分の取り消しを求める行政訴訟。
平成5年2月27日: 認定審査会(渡辺会長欠席),骨の病理組織検査結果なしで審査できると考えられた症例6名について審査,男性1名を除く5名をイ病患者として認定。
平成5年4月: 環境庁保健業務課長通知で骨軟化症新診断基準。
平成5年5月19日: 県認定審査委員全員辞職。
平成5年6月2日: 行政訴訟の第1回ロ頭弁論(富山地裁)。
平成5年6月25日: 新認定審査委員決定。
平成5年7月25日: 第1回審査会。会長は石田礼二(富山市民病院長)。過去の棄却処分者のうち病理所見のあるものについて見直しをすることになる。
平成5年9月2日: 第2回審査会。過去に棄却された19名のうち5名について見直し審査を行い,新たに2名をイ病と認定。
平成5年11月14,15日: 認定審査会。残された17名について見直し審査を行い,新たに11名をイ病と認定。結局見直し19名中13名(全員女性,全員死亡)が認定された。この中に行政訴訟中の2名が含まれていたが,この2名の行政訴訟は取り下げられた。これまでイ病認定患者178名,生存15名,要観察者330名,生存10名。
平成5年: 研究班「イタイイタイ病及び慢性カドミウム中毒に関する総合的研究」の改組。
(中略)
平成12年12月27日報道: 富山県の魚津と朝日の18農家の米からカドミウム検出。0.4〜1.OPPm.福岡・大牟田など5県7市町村からも基準値以上を検出。
平成13年4月: 男女2人,不認定。
平成13年5月: 婦中の85歳女性認定。
平成14年5月22日報道: 厚生労働省は,コーデックス委員会(国連・FAO/WHOの下部機関)が米の基準を0.2PPmとする方向を受けて,カドミウムの安全基準1ppm未満(現在は1ppmを越える米は焼却,0.4〜1ppmは工業用原料に)を強化する方針を固めた。

 なお,富山医科薬科大学公衆衛生学教室の調査として,昭和元年からのイ病類似死亡者調査と,くる病発生との時間・地理疫学的比較検討を行った。少なくともイ病類似死亡者の発生は昭和元年まで辿ることができるし,イ病の原因を,富山県氷見地方で多発したくる病と関連づけようとする一部研究者の主張は,時間・地理疫学的にまったく根拠のないことが示された(文献3)。

2)イ病の自然史(文献4)と尿細管障害の不可逆性
 体内に取り込まれたカドミウムは腎皮質に蓄積する。その濃度が200-300ppmを越えると明らかな尿細管障害・再吸収障害が発現する。低分子量タンパク,グルコース,アミノ酸,尿酸,重炭酸塩,リン酸,カルシウム,ナトリウム,カリウム,クロールなどの再吸収機能が障害され,その結果低リン酸血症や近位尿細管性アシドーシスなどがもたらされる。この状態をカドミウム腎症と名付けているが,すでにこの時期において血清アルカリフォスファターゼ活性やオステオカルシン濃度の上昇など骨代謝異常にかかわる所見があり骨量の低下も見られる。尿細管障害の程度が長年月をかけて進行するに伴い,やがて骨X線所見での骨改変層などが発現する。すなわち,骨軟化症の症状が顕在化する段階は,イタイイタイ病の自然史における最終段階であり重症型ということができる。さらにこの時期を経て末期に至ると腎不全を呈し,高度な貧血,血清リンの上昇などが見られるようになる。これらをその他の知見も加味してまとめると表3のようになる。

表3イタイイタイ病・慢性カドミウム中毒の自然史
I. イタイイタイ病・軽症:カドミウム腎症
・ 尿細管障害高度
・ 骨量減少
・ 生命予後短縮
II. イタイイタイ病・中等度:典型期
・ 尿細管障害高度
・ 骨改変層・骨折
・ 貧血,低血圧
III. イタイイタイ病・重症
・ 高度腎障害(糸球体機能低下)
・ 骨改変層多発,骨折多発
・ 高度貧血,低血圧

 当研究室では1982-83年に神通川流域11地区の米中カドミウム濃度,1985-86,1991年には血中のそれを測定し,今日まで異常に高いカドミウム曝露を受けていることを明らかにしてきた。また同時に尿細管障害などの動向について追跡調査を行ってきたが,上記のことがらはその成果の一部である。ここでは尿細管障害の可逆性について述べる。カドミウム腎症,さらには重症イタイイタイ病の予防対策の観点から重要だからである。上記汚染11地区について,女性汚染地域住民193名と対照地域40名について,1983/84年の調査と11年後となる1994/95年の調査とを比較した(文献5)。この間,自家米中カドミウムは,汚染土壌改良事業の完了している地区で有意に減少していた。ただ,尿中カドミウムは低下した地域でも対照地域のそれよりは高かった。尿細管障害はすべての地区で悪化し,初回時の尿中β2一ミクログロブリンの平均濃度は2.01(1983年),1.09〓/gCr(クレアチニン)(1984年)だったが,11年後では3.97(1994年),3.72〓/gCr(1995年)と増加していた。尿中β2一ミクログロブリン10〓/gCr以上でかつ尿グルコース150〓/gCr以上を呈する高度尿細管障害例は,この11年間に新たに31名(21.8%)を数えた。カドミウム汚染地区の男性についても同様の調査が行われ,同様の結果を得ている(文献6)。骨の変化については,汚染地域居住の女性54名について1985から1991年の6年間の変化を追跡したが(文献7),尿細管障害が高度であるほど加齢による骨密度の低下が促進されることが示された。これらの事実から,尿細管障害の程度が,少なくとも尿中β2一ミクログロブリン1〓/gCr前後を越えると尿細管障害は回復しないし,さらに増悪するケースも少なくないと結論された。なお,長崎県対馬のカドミウム汚染地域住民についても同様の結果が報告されている。

3)イ病の自然史と認定問題
 HM氏は神通川右岸のカドミウム汚染地域で1918年に生まれ,生涯をそこで過ごした女性である。20歳から約10年の間に5人の子供を産んだ。汚染された水田から収穫された米を食べ,神通川の水を直接飲食に使用していた。ときどき神通川の水がひどく汚染されてあゆが浮くことがあったが,それを集めて食べたこともある。51歳の頃に腰痛のため某病院で安静と鎮痛剤の処置を受けたが,54歳の時に尿タンパク,尿糖が発見され,さらに腰痛が激化し萩野病院を訪れた。57歳のとき右股関節痛が発生したが,59歳には両股関節痛となり歩行困難となり萩野病院に入院した。その時両座骨枝に骨改変層が発見されている。67歳の時左大腿骨に骨改変層が見いだされ,68歳(1986年)の時階段からすべってその骨改変層の場所において骨折し,キュンチャー髄内釘による治療を受けた。この頃,尿細管障害は高度となり,%TRPは34.2%を示した(1987.10.19)が,さらに腎機能も悪化し貧血が高度となりしばしば輸血を受けた。血清クレアチニンならびにBUNの上昇につれて血清リンが増加し,低リン血症状態から数値の上では正常範囲に入っている。71歳(1990年),腎不全で死亡した。この症例は,典型的なイ病の経過をたどった例である。しかし,県公害健康被害認定審査会でいくども不認定とされた。公害健康被害補償不服審査会に不服審査請求を申し立て,死後,1992年11月13日になって見直し審査が行われイ病と認定された。X線写真上の骨軟化症の所見を認めず,かつイ病の自然史でいうと末期・極期における血清リンの「正常値」化を根拠に不認定とするようなことがあってはならないのだが,事例を検討すると他に不認定の理由を見いだすことができない。

4)これからの課題
 カドミウム汚染は全国に散在しているが,イ病は富山県にのみ発生したことをもってイ病とカドミウム曝露との関連を否定する考え方があった。イ病という呼び方は,神通川流域の汚染地域が,昭和44年12月に公害に係わる健康被害の救済に関する特別措置法(救済法)に基づいて地域指定を受けたことによるもので,イ病が他の汚染地域で発生していないということではない。少なくとも日本では石川県で数名,兵庫県で5名,長崎県で9名のイ病と診断すべき人々が報告されている(文献3)。疾患名によって混乱が起こることは好ましくないが,イ病という病名はすでに世界的に通用しているので変更することはないと考えるが,少なくとも表3に示すようなイタイイタイ病=慢性カドミウム中毒であることと,その自然史の骨子を把握する必要がある。そのことによって中国をはじめとして明らかにされつつある世界のカドミウム汚染と人体影響の解明が促進されると考えるからである。
 図2は,尿中β2一ミクログロブリンを指標とした尿細管障害と骨代謝障害を生体影響として,カドミウム曝露との関係を模式的に量影響曲線として示したものである。この図は次の課題を示している。
〓トリプル・スタンダード:尿細管障害の指標は多種類あるが,図には尿中β2一ミクログロブリンを指標とした場合のスタンダード(cutoff point)が示されている。一般的にダブル・スタンダードは好ましくないが,カドミウム曝露については3つのそれがある。〓イ病判定のための基準:環境庁住民健康調査方式による1mg/100ml,〓尿細管障害判定のための基準:多くの疫学調査において用いられている1,000μg/gCr,そして〓「正常範囲」を基礎とした基準:非汚染地域における尿細管機能を基礎にして,いわゆる正常値をどう考えるかということである。日本人の非汚染地域における平均値は200μg/gCr程度であり,300μg/gCr以上の集団では死亡率が増加するという研究もあり,本来この付近の値をcutoff pointとすべきだと考える。将来,これらトリプル・スタンダードをどう一本化するかということが重要な課題として残っている。

〓生体悪影響とは何か:トリプル・スタンダードと深い関連において,カドミウムの悪影響をどう考えるか,という問題が残っている。典型的イ病だけをカドミウムによる健康障害だとするのか,その前段階であるカドミウム腎症をカドミウムによるそれとして明確に位置付けるか,さらに「正常範囲」を越えて尿細管機能が低下することをもって悪影響とするか,という課題である。現在のところ,カドミウム腎症を含む軽度の障害は痛みなどの自覚症状のないことをもって,健康障害とは認めない風潮があるようである。

〓尿細管障害の可逆性:先に尿細管障害の程度が,少なくとも尿中β2〓ミクログロブリン1〓/gCr前後を越えると尿細管障害は回復しないと述べたが,厳密にどのあたりなのかという課題が残っている。

〓食品中のカドミウム基準:上記の事柄を考慮しつつカドミウムの摂取量のクライテリアを設定し,さらに米などの基準を再検討する作業が重要事項として残っている。

4.エピローグ〓人類と地球の行方〓
 ゼウスは天の火を盗んだプロメテウス兄弟を罰するために女を造って贈った。その名はパンドラという。プロメテウスはゼウスの贈り物には注意しろと忠告したが,エピメテウスはよろこんでパンドラを受け入れた。エピメテウスの家には箱(瓶)があり,開けることを禁じられていたが,好奇心に負けたパンドラはふたを取り,覗いた。あらゆる病気,嫉妬,怨恨,復讐などの禍が世界の隅々まで散り,人類を黄金の時代からから鉄の時代をたどらせた。パンドラはあわててふたを閉じたが,あとに希望だけが残った。
 プロメテウスは前もって考える人(プロ・前の,メテウス・考える)であり,エピメテウスは後で考える人(エビ・後の)であった。プロメテウスがコーカサスの山中で鎖につながれ,禿げ鷹に肝臓を喰われている間に,本能<欲望と好奇心>のおもむくままに生産的ではあるが破壊的でもある

表4エピメテウス的科学・技術とプロメテウス的科学・技術との比較
エピメテウス プロメテウス二希望
対自然 征服 共生
対人間 競争・自己拡散 協力・自己確立
科学の目的 *真理の探究 *自己拡大/人類の幸福
・無条件の科学・技術の追求 ・科学・技術のもたらす結果を考える
・結果の責任はとらない ・結果の社会的責任を考える
医療学・医学 本来プロメテウス的であるべき
特に社会医学・公衆衛生学・環境医学


科学・技術・産業,すなわちエピメテウス的科学・技術が展開されてしまった。戦乱の世が続き,生産活動により生存基盤が破壊され続けている今日,プロメテウス的科学・技術が真に求められている。両者の相違をあえて整理するなら表4となる。
 科学・技術者の社会的責任については,核兵器の開発と使用に関する科学者の責任について述べた「私たちがいまこの機会に発言しているのは・・・あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく,その存続が疑問視されている人類,という種の一員としてである」という言葉を想起すべきだろう(「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955))'。あたかも2002年2月27日,核の脅威による地球最後の日までの時間を示す「終末時計」の針が4年ぶりに2分進められ,終末を示す午前零時の7分前となった(北日本新聞2002.3.1)。2001年9月の米中枢同時テロや,米国の弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの脱退表明などを理由としたものである。
 競争は価値体系が互いに同一であるところから発生する。相手と自分とを同じ尺度の上で比較しつつ競争するのである。真の意味で自己を確立しておれば競争相手は自分自身であり,他者といちいち比較する必要もない。したがって無用な,時に殺し合いに至るような競争もあり得ないわけである。この点については,宮澤賢治の「業の花びら」の一部を紹介するにとどめる。「ああたれか来てわたくしに言へ/『億の巨匠が並んでうまれ/しかも互いに相犯さない/明るい世界はかならず来る』と/・・・遠くでさぎがないてゐる/夜どほし赤い眼を燃やして/つめたい沼に立ち通すのか・・・」
 結局,パンドラの箱に残された希望は医学をはじめとする諸科学に内在していると考える。しかしそれは,人類全体が共生・協力を軸とするパラダイムに回天することなしには,潜在化させられたり,歪められたりするだろうし,現実にそのような道を辿ってきた。少なくとも自分自身については,ともすればエピメテウス的次元に転落しそうになるところを耐えて,プロメテウス的であることを追求してきたつもりである。その私の努力はまだ続くのだが,学生諸君にも後を託したい。

文献
(文献1)ブルフィンチ,野上弥生子訳:ギリシャ・ローマ神話岩波書店,1978改版.
(文献2)加須屋実:環境毒性学,上下巻,日刊工業新聞社,1977,1978.
(文献3)加須屋実:日本におけるカドミウム汚染と人体影響,カドミウム環境汚染の予防と対策における進歩と成果(イタイイタイ病とカドミウム環境汚染対策に関する国際シンポジウム),栄光ラボラトリpp.14-20,1999.
(文献4)青島恵子,加須屋実:イタイイタイ病〓環境中カドミウムの曝露による尿細管性骨軟化症の自然史〓,治療,75,1031-1035,1993.
(文献5)焚健軍,青島恵子,加藤輝隆,寺西秀豊,加須屋実:富山県神通川流域カドミウム環境汚染地域住民の尿細管障害に関する追跡研究,第1報土壌汚染改良事業開始後のカドミウム曝露の変化と尿細管障害の予後,日衛誌,53,545-557,1998.
(文献6)Y Cai,K Aoshima,T Katoh,H Teranishi,M Kasuya:Renal tubular dysfunction in male inhabitants of a cadmium-polluted area in Toyama,Japan-an eleven-yearfollow-up study,J.Epidemiol.,11,180-189,2001.
(文献7)K Aoshima,J Fan,Y Kawanishi,T Katoh,H Teranishi,M Kasuya:Changes in bone density in women with cadmium-induced renal tubular dysfunction:a six-yearfollow-up study,Arch.Complex Environ.Studies,9,1-8,1997.
(文献8)加須屋実:イタイイタイ病を頂点とするカドミウムの人体影響に関する研究の将来展望,カドミウム環境汚染の予防と対策における進歩と成果(イタイイタイ病とカドミウム環境汚染対策に関する国際シンポジウム),栄光ラボラトリPP.115-119,1999.

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