【所長のコラム】/鏡森定信

立山砂防工事のエッセンシャルワーカー

 労働安全衛生コンサルタントの杉江玄嗣医師の弟さんの落語家柳家さん生師匠が、常願寺川上流で今も続きいつ終わるかもわからない砂防事業を取り上げて噺をするというので聴きに出かけた。安政5(1858)年、飛越地震によって立山カルデラの大鳶と小鳶両山が大崩壊しカルデラ内に大量の土砂が堆積、その流出が土石流や洪水となって下流に長年止むことなく大水害をもたらしてきた。明治24(1891)年、富山に入ったオランダの治水工事専門官のデ・レーケは常願寺川の堤防の構改築、流路変更、12本の用水の合口化など治水工事に尽くしたが、この下流での対策に対して、「川でなく滝のようだ」と呼ばれた常願寺川の頻発する洪水・氾濫への上流対策が砂防工事である。それは明治41(1908)年から公共事業として始まり今日まで続いている。さん生師匠は、砂防事務所の初代所長・赤木正雄が砂防の父と言われる由縁、山奥で働く人たちの苦労、ブルが堰堤工事中に落下するなど多発する事故そして失われた命、診療所の肝っ玉看護師さんの活躍など静かに丁寧に語った。この砂防工事はこれからも続き完成は無いという。常願寺川の上流にこれまで設けられた堰堤は下流の人々の生活を守っている。しかし、平時には人々はそれに気づかない。この砂防工事を支える「エッセンシャルワーカー」がいる。聴き終えて強くそう思った。
 新米の医師の時この現場(水谷)にアルバイトで滞在した折には、そこまで思いが至らなかったことを恥じ、落語で学ばせてもらったことに感謝した。

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